公益財団法人 相模原市産業振興財団

人生のサプリメントは魔法の花

フラワーWiz お花の魔法使い 代表 一ノ瀬 妙子フラワーWiz お花の魔法使い 代表 一ノ瀬 妙子

一人息子が2歳になった頃だった。生まれも育ちも東京だった私はシングルマザーとなって相模原に暮らしはじめた。当時の勤め先は東京。朝一番で保育園に子供を預け、その足で小田急線の超満員電車に乗り、東京の勤め先に向かう。ある朝、いつものように満員電車の扉付近の座席前に立ち、やっとの思いで足場を確保していた。ふいに…、ガッタンと電車が急ブレーキをかけたその瞬間、つかまる所のなかった私はスローモーションで空をつかみ、座っている人たちの足元にドタッと倒れた。思えばこれがきっかけだった。相模原で仕事をするのも、お花の道に飛び込んだのも。

家のある相模原市内でできる仕事、育児に携わりながらできる仕事。東京の会社を辞めた私は、限られた条件のなかで働いて、家族を支えるだけの収入を確保しなければならなかった。息子の保育園に近かった貿易会社、取得していた教員免許を活用できた福祉施設、花の流通について勉強させていただいた生花市場など、さまざまな職場で働いたことを覚えている。通勤時間は短縮したが、家事、育児、仕事の日常が忙しかったことに変わりはない。

生活はなんとかやっていけたが、常に将来の不安があった。会社に頼らず自分自身の技術を持ち、収入にできたら…。漠然と考え始めた時、真っ先に浮かんだのが“花”だった。母が池坊の師匠だったので、小さい頃から花はなじみだった。母のお陰で今の私がここにいると言ってもいい。そこで通い始めたのが横浜の夜間スクールだ。4年間、帰社後に通い続け、プロ資格から国家資格まで取った。

その後、女性実業家セミナーに参加、私は“花”に関わる仕事の事業計画書を作成した。でも、独立はできなかった。私は世帯主で家族の生活を背負っており、見込まれる収入ではやっていけないと判断したからだ。「だったらこのまま仕事で収入を確保しながら、自分の夢を少しずつ形にしていこう」と決心した。それから今まで以上にいろいろなセミナーや会合、団体に参加。そこから広がった人の輪、その輪の人たちに助けられ、支えられ、相模原での行動範囲を広げていくことができた。

そんな矢先、母の介護が必要になった。私はフルタイムの仕事を辞めて高校の保健室勤務を週3回しながら、空いてる時間をすべて母に注いだ。自宅療養や入院など、1年半の介護を経て昨年母は他界。その後運良く新たに週2回の非常勤講師の依頼が入り、どうにか生計を立てることができた。仕事を終え、実家の父の食事作りに出向き、自宅に帰ってからもう一度、子供の食事をつくる。家事が一段落すると授業の教科の下準備、講習会用の花キットの作成・・・。日常に追われ、自分自身に余裕がなくなっていた。でも、忙しい、忙しいと言っていたらいつまでも状況は変わらない。自分で変えなきゃ、なにも変化は起きない! そんな思いをこめて、虎ノ門で行われるJFSフラワーデザインアマチュアコンテストのプリザーブド部門に応募してみた。結果はなんと“1位”だった。これには驚いた。

受賞後の私にはまず“自信”がついた。作品を作る励みにもなった。「ソレイユさがみ」でも私を講師に選んでいただいた。その教室の生徒さんがそのまま残り、団体もできた。公民館からも依頼が来るようになった。生涯学習センターに登録していたので、PTAの講習会や親子教室などからも依頼がきた。クリスマスの講習会も増えている。まだまだ営業も足りないし、材料費のみの収入で、利益を出すまでには至らない。それでも今は自分のやりたい方向に少しずつでも進んでいる実感がある。

最近、また新しいチャレンジすることを決心した。ひとつはホームページの作成を依頼したこと。新しいホームページによってまた私の世界が広がるはず。もう一つは11月29日(火)~12月4日(日)まで淵野辺のギャラリーIVYで、初個展をすること。クリスマスを意識した内容のアレンジをメインにするつもり。この個展の準備も今までのように、仕事をしながら、日常の雑事の合間に進めている。みなさんもぜひ見に来てください。

こんな私が言えることは、『何事も、自分が動かなくては始まらない。自分が思いを伝えないと、なにも伝わらない』ということ。私は一人だったけれど、動き出すことでいろいろな方たちに会って支えられてきた。これからも新しいことにチャレンジしながら精力的に動いて花の仕事を続けるつもりだ。がんばります!

フラワーアレンジメント講師
「フラワーWiz お花の魔法使い」
一ノ瀬 妙子

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